2000年代海外SF傑作選

 

2000年代海外SF傑作選 (ハヤカワ文庫SF)

2000年代海外SF傑作選 (ハヤカワ文庫SF)

  • 発売日: 2020/11/19
  • メディア: 新書
 

 出ないかと思ってたら、10年遅れで出てくれました。80年代、90年代のように上下巻で出てほしかったですが、出版されたこと自体がありがたいので、とにかく感謝。上下巻ではないので、この年代から活躍した作家が中心になっていますね。それ以前からの活躍組はイーガンくらいでしょうか。編者の橋本さんとは同世代なので、同じ時期にSFを読んでいた人の編んだものだなあと感じられるラインナップ。

素晴らしい本なのですが、短編の初出はあっても、翻訳の初出情報がないっぽいので、補足しつつ各編のレビューを。

ミセス・ゼノンのパラドックス

初訳作品。巻頭に置かれたのは、ゼノンのパラドックスをモチーフにした掌編。イメージの変遷がきらびやかで良いです。日本では短編がいくつか紹介されるに止まっており、2000年代の作家としての印象は薄い作家です。

懐かしき主人の声 (ヒズ・マスターズ・ボイス)

S-Fマガジン2011年12月号「The Best of 2005-2010」掲載。同号からは本初収録の「可能性はゼロじゃない」、本書にも作品が収録されたアレステア・レナルズトロイカ」、売り上げ的にもゼロ年代SFを牽引したジョン・スコルジー「ハリーの災難」、ゼロ年代はインドを舞台とした作品を中心に活躍したイアン・マクドナルド「小さき女神」も収録の重要な号でした。

ポスト・サイバーパンク作品『量子怪盗』のシリーズで活躍したハンヌ・ライアニエミは、面目躍如たる犬と猫を主役に据えたポスト・サイバーパンク。『量子怪盗』も2010の作品なので、どちらかというと10年代の作家という印象ではあります。ルビに振られた原題(HMV)の通り、音楽が意外な形でモチーフになっています。雑誌掲載時は、タイトル通り、His Master's Voice を模したイラストが扉絵になっていました。長編並みのアイデアが投入されており、短さのわりに濃密な作品。複製に透かしを入れて対応というところとかゼロ年代っぽいです。なかなかの佳作。

第二人称現在形

S-Fマガジン2007年1月号「ドラッグSF特集」に「二人称現在形」として掲載。

ゼロ年代に流行ったリベット実験を元にしたSF。同じようにリベット実験を元にした作品としては、テッド・チャン「予期される未来」(2005)、伊藤計劃「From the Nothing with Love」(2008) などがあり、当時の流行りだった感じがあります。

ドラッグにより人格が変わってしまった少女を中心とした親子の物語。掲載当時は大傑作だと思ってたが、今回再読して良作くらいの評価に落ち着いた。特殊な形の自殺を、面白いアイデアで話に落とし込んでるところが当時は気に入ったのかも。今は人の親になったので、親側の気持ちで読んでしまう。人格が変わってしまっても娘は娘だと思えるとは思うが、どうだろうか。本作の設定通りなら、作中ドラッグのオーバードーズで発生する人格は単一のものではなく、偶然に一つに決まるので、理想の人格が出るまでガチャを回すことが可能な気がする。かなり邪悪な話に落とし込めそう。

地火

初訳作品。言わずとしれた『三体』の劉慈欣。ヒューゴー賞の受賞、日本での翻訳は10年代に入ってからだが『三体』の原書は2005, 2007, 2010。2000年代傑作選に載るのがふさわしい作家です。

効率が落ち、労働者の負担ばかりが大きい仕事場と化してしまった炭鉱を、新たなアイデアで救おうとするが…という作品。かつてあった故郷の喪失と夢の挫折という苦味が本作の一番の味。とはいえ、それでは終わらず、遠未来を幻視してみせ終わるという、少し古いとも愚直とも思える結末を採用しているのが劉慈欣らしさでしょうか。『三体』にもあった、現代の作家には滅多に見られず、本邦なら小松左京くらいにしか感じられない、大きい共同体やビジョンを率先している力強さが本作にも見られます。

シスアドが世界を支配するとき

S-Fマガジン2008年3月号「2007年度英米SF受賞作特集」掲載。本作もそうですが、ギーク系の作家という印象が強い。それはこの次に掲載されているストロスも同様で、二人揃ってS-Fマガジンで特集されたこともある (2011年5月号、二人の合作もさることながら、ポストサイバーパンク世界でのジーヴスパロディというストロス「酔いどれマンモス」が傑作)。

ある日、同時多発的なテロにより世界が壊滅。社内システムメンテにビルに取り残されたシスアドたちは、ネット上に自分たちの共和国を作り上げる。2000年代頃のネットに期待された自由の気風、グッドオールドデイズといった趣があります。しかし、2007年に書かれた本作の時点で、夢の王国は一時の麻酔的な夢でしかなく、実態としてはなんの意味もなく瓦解し、彼らは残された世界でなんとか生き延びていきます。作品内では実のところ目立つアイデアもなければ、SFというほどの要素も実はない作品ですが、その失われた夢がSFらしさを担保しているとも言えます。2007年でも失われた夢は、2020年にもなるとまだこれでも美しすぎるように感じられるのが本当に悲しいところで、現在に本作を読む意味でもあるのかもしれません。しかし、自分の子をジョークでも〈2.0〉と呼ぶギーク仕草は気に食わないということは記してもいいかもしれません。

コールダー・ウォー

S-Fマガジン2005年08月号「宇宙戦争特集」掲載。個人的にはゼロ年代デビュー作家の中でもっとも好きな作家ストロス。大傑作『アッチェレランド』など、ポストサイバーパンクの色の強いニュースペースオペラ作品で、鮮烈な印象を残しました。比較的翻訳紹介がされた方の作家ではありますが、『アッチェレランド』の単行本以降単著の紹介は途切れています。傑作だけど分厚いし、売れなかったのかなあ…。

本作はクトゥルー的兵器が冷戦の抑止力として使われている架空歴史物。諜報組織の男を中心に置き、エスピオナージュの雰囲気で楽しませてくれます。ショゴスの兵器描写など非常に愉快です。ストロスのサービス精神の豊富さがよくでた作品ながら、クトゥルー神話に親しんでいる方が楽しめる作品でもあります。

可能性はゼロじゃない

「懐かしき主人の声」と同一のS-Fマガジン掲載なのは先述の通り。著者のN・K・ジェミシンは、〈破壊された地球〉三部作で2016からヒューゴー賞三年連続受賞、2000年代傑作選収録ながら、2010年代を代表する作家です。

万が一が当たり前に起きるようになってしまったニューヨークでの一人の女性の生活を描く一作。これもこの前二作と並び、カタストロフの気配が背中に張り付いた作品ではあるかもしれません。こうした出来事が起きた時に、信仰の問題が作中に強く埋め込まれているのが非常にアメリカ的と感じます。

暗黒整数

S-Fマガジン2009年3月号「2008年度英米SF受賞作特集」掲載の後、短編集『プランク・ダイブ』に収録。「ルミナス」(1995) の十年以上後に書かれた続編。イーガンは現代最高のSF作家と呼ばれて久しく、2000年代も2010年代も(特に本邦では)重要な作家であり続けた。90年代SF傑作選に採録された「ルミナス」に引き続き2000年代SF傑作選に収録されるにふさわしい作家でしょう。

「ルミナス」ではオルタナティブ数論によって構成された異なる世界を見つけ、その接触に成功/失敗した後、彼方の世界と連絡を取り合うことに成功したが、その関係は引き続き緊張を保ったものだった。本作を読むために「ルミナス」を再読したのですが、当時はエスピオナージュ的な筋書き(特に冒頭の工作員との駆け引き)が印象に残っており、この異様なアイデアをあまり覚えてなかったことには驚きました。これ数学をわかってない人じゃなくて、十分に理解している著者から出てきているところがすごい。バカSFの極みとも言える作品。「数学が物理世界に従属する」というアイデアからディテール込めて書くのは本当に異様。数学を抽象的な存在として扱っているとイデア論者と言われるの本当に納得がいかない。こんな馬鹿げたアイデアを背景にしながら、前作は諜報活動っぽかったですが、本作は冷戦にもなぞらえられる緊張感ある駆け引きの物語になっています。冷戦テーマというか終末が訪れる話が三本目。日本ではセカイ系が流行ったのが2000年代でしたが、海外もそれに近いムーブメントがあったということでしょうか。

2020/12/19 追記:指摘もらって気づいたけど、ムーブメントも何も911ですね。完全に失念してたのとテロの時代とは思っていたけど、そこと世界の終わりがくっついてるあの空気を忘れていました。

ジーマ・ブルー

初訳作品。レナルズの新作が翻訳される喜びを噛み締めています。レナルズ『啓示空間』は、本邦にニュー・スペースオペラが紹介される嚆矢となった一作。1000p越えかつハヤカワ文庫SFでありながらイラスト全面表紙のいわゆる青背ではなかったことも印象的でした。今も〈レベレーション・スペース〉の量子真空が早川書房の文庫で一番分厚かったりするのでしょうか。

本作もレナルズらしい遠未来のテクノロジーが進み切った世界を舞台とした物語。ジョン・ヴァーリイの〈八世界〉やブルース・スターリングの〈生体工作者/機械主義者〉シリーズのようなテクノロジーが進み切った世界を舞台とした作品の正当後継者といった趣が、レナルズにはあります。本作でも進みすぎたテクノロジーゆえの転倒が、炸裂します。機械による補助記憶の味気なさと生体の記憶のファジーさゆえの豊かさを示してみせる本作は、人間の記憶のいい加減さによる罪と罰を描いたテッド・チャン「偽りのない事実、偽りのない記憶」の対極を示すものとも言えるかもしれません。短編集の最後を飾るにふさわしい美しい作品です。