BABELZINE Vol.2

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翻訳小説同人誌BABELZINEのvol.2です。翻訳同人誌はちゃんと権利を取らないでやってる場合もままあるんですが、これはちゃんと許可ももらった上でやっているそうで、その上で翻訳もやっている熱意には頭が下がります。

主にSF短編が掲載されています。vol.1も良かったんですが、今回も良かったです。それぞれ見ていきましょう。

シュタインゲシェプフ G・V・アンダーセン

シュタインゲシェプフという人々の活力と専門的な技術により創られるゴーレムのいる世界での、一次大戦二次大戦の戦間期での物語。シュタインゲシェプフの創造・修復を手がける創造主のハーツェルは、修復依頼に訪れた家で余命いくばくもない女性と彼女の家族であった過去の大作家が作ったシュタインゲシェプフと出会う。ゴーレムものの短編として、何か特筆する部分はないですが、人間の心情に寄り添う端正さが沁みる一編。

ラブ・エンジン・オプティマイゼーション マシュー・クレッセル

ハッキングにより収集した情報により、相手のことを誰よりも理解したふりをして、恋愛関係を持とうとするサイコな語り手の話。SFっぽく見えるものの、出てくるのはほぼ現代の話。テクノスリラーといったほうが自分では正確に感じます。相手が自分の理想と違うことに勝手にガッカリしたり、その上で自分色に染め上げればいいと考えている語り手のサイコさが笑えるような怖いような。

アウター ホリス・ジョエル・ヘンリー

科学的な何かの事故で変質してしまった人々セプテンバーとその後続世代。その末裔であるトゥーゼンは優しい少年だったが、なぜか異能を発現してしまったことで強まったセプテンバーへの迫害に見舞われ…。古くは放射線などの事故をベースに描かれてきたその被害者への迫害の物語。なんだけど、この設定で異能を持つのは、現代では素朴すぎんかと思わなくもない。とはいえ、激した気持ちを裏に秘めながら進む筆致は読ませるもので、暗い結末も雰囲気がある。

輝きのみが残されて フラン・ワイルド

徐々に人々が植物へと変貌していく世界で、研究者アーミナエはその抑止を目指すが…。人々が様々な植物へ変わっていく様を、いろんな面から描いていき(なんか大学生が多い)、静かに世界が終わっていく様が味わい深い。描写も幻想的。

メンデルスゾーン セス・フリード

少年と動物につけられた名前がタイトルになっているとサキ「スレドニ・ヴァシュタール」を思い出すが、あの残酷話とは違うテイストの懐旧と多分成長の話。標準よりも大きいアライグマが町の通りを、人々を嘲笑うようにめちゃくちゃにしはじめる。天才発明家で、かつての特許料のおかげでほぼ隠遁状態の父は、そのアライグマを「メンデルスゾーン」と名付け、生き生きとその戦いに取り組みはじめる。語り手の少年から見た父の姿とその戦いを通して少し大人になってしまった姉、その関係の描き方が抜群に良い。父はユダヤ系と思われていて、周辺住民とも感情的に軋轢がある。この不穏さが流れる中、父はメンデルスゾーンを無事捕獲することができるのか。この収録作の中でもかなり好き。本書収録作家は未訳作家が多い中、単著が翻訳されている多分唯一の作家でもある。そっちは未読。

いつまでも夫に愛されるための五八のルール ラフィアット・アリユ

夫が浮気していると思った妻は、呪術の力を使う母の友達のおばさんを頼るが…。ちょっとした疑心から軽はずみに夫の心を手に入れようとしたことで手痛いしっぺ返しを食らうが、妻の想像を超える強さ、あるいは狂気にたどり着く結末が印象的。いいんかそれで…。

バーニング・ヒーロー A・T・グリーンブラット

能力者ものその二。こちらは原因とかなく、不意に目覚める能力。サムは自分の頭が突然燃え出す異能を得てしまい、今までの生活を失ってしまう。能力者の集まりに加入してヒーローになろうとするが、与えられたのは前職の経験を生かした経理の仕事だった。異能者への迫害、孤独といった手垢のついたテーマで新鮮味はないが、孤独や自分の身の置き所のない青年が居場所を見つける物語として味わい深い。”サムが燃えるところを見てみよう。”と始まる、読者にサムを客観的に眺めることを促す文章もその良さに一役買っている。

新鮮な空気 レティー・プレル

仮想現実に完全に没入して過ごすことができるようになった世界。シングルマザーのレイクは努力して稼いだお金で、仮想現実への移住に成功した。一度仮想現実に入ったらもう現実に戻らないのが普通な中、息子のジャレッドは頻繁に現実に戻っているようで…。母の息子への想いがから回る様が胸に迫る。子のことを大事に思っているが、煩わしくも感じる描写がリアルで苦しくなった。仮想現実への没入方法が黒いフードに包まれるというもので、マトリックスをマイルドにしたような世界観ですが、設備がちょっと古そうだったり、現実的な不安感があるのが良いです。

終止符 ジェラール・クラン

宇宙の終焉を描く形而上学SF。レ・コスミコミケのような話をもっと現実的なディテールで描いたといったらわかりやすいでしょうか。叙情的な書きぶりが酔わせてくれてなかなか。

イムノ・シェアリング時代の愛 アンディ・ドゥダック

致死性の感染症が蔓延した世界で、人々は自分の免疫を伝播させることで生きながらえていた。国同士の交遊は絶えていたが、自分たちの関係性と住処に耐えられなくなった四人は外へと乗り出す。免疫を与え合うために交接する人々の中で、愛とは何かを混乱した世界の中で見出して行く人々の物語。驚くことに発表は2019年。世界観に独自のものがありそれだけでも面白く、その上、四人の違いに向ける感情の機微が徐々に見えてくることで結末には哀愁が漂う。本書の中でも最も読んでほしい一作。

レム外典 ヤツェク・ドゥカイ

『完全な真空』の解説として書き下ろされたという出典からして笑顔になるポストヒューマン時代の創作と文学研究をモチーフにしつつ、レムを評してみせる作品。特にレムの見ている世界を分析してみせるくだりは白眉。p228がそれだが、ちょっと長いのでぜひ読んでもらいたい。レムファンの方がニヤリとできるのではないだろうか。

単数Theyの発明と翻訳の可能性 白川眞

巻末のこれは評論。単数Theyのことはすでに知っている人も多いと思う。知らない人はググってください。それかこの評論を読みましょう。単数Theyを取り巻くものが整理されています。新しい訳語を提案するべき、と著者は言うが、冗談めかした提案に終わっているのだけが残念。私も訳語は新たに作られるべきと思うが、普及するほどの決定打がまだないだけに、見てみたかった。翻訳家の方々も苦戦しているところで、難しい注文だと言うのは承知ですが…。

 

同人誌なこともあってか、翻訳11編も載ってて、1500円(+税)なんですよね。出版社から単行本で出たら、もう1.5倍か2倍してもおかしくない。安い。まだ在庫あるようなのでぜひ。