SFマガジン2020年8月号

 

SFマガジン 2020年 08 月号

SFマガジン 2020年 08 月号

  • 発売日: 2020/06/25
  • メディア: 雑誌
 

小説がたくさん載ってるのは良いことですね。読み終えるのに時間かかったので、読了が今更になりましたが。

読んだ小説について感想を。津久井五月「牛の王」は冒頭先行掲載なので読んでないです。ぱっと見、面白そうなので出たら読むはず。長谷敏司「怠惰の大罪」みたいに刊行がいつになるかわからなくなるケースもあるので…。春暮康一「ピグマリオン」は後編掲載号の読書メーターに感想を残しました。

親しくすれ違うための三つ目の方法 高木ケイ

ノンフィクションライターを目指す大学生が、エイリアンをテーマに調査をはじめるが…。というプロットに、彼自身の出自の秘密、取材で知り合った女性との関係が重ねられる青春小説。この手の話でありがちなエイリアンの存在は、いるかいないか確定させない、みたいな書きぶりではなく、「いる」方に振っている思い切りの良さに気持ち良く裏切られた。そんくらいやらないとね。あくまで日常の範囲で印象的な場面を作っていて、青春小説らしさを失わないところも良い。若干、視点がブレブレして読みにくいこと以外は非常に良かった。

それでもわたしは永遠に働きたい 麦原遼

今回のベストでは。AIがまさに仕事を奪い、人間はフィットネスクラブで体を絞っている間に、脳の処理能力を貸して、物理的に存在するアバターを動かすことが労働(=朗働)となった未来が舞台。もうこの設定が労働の未来を、本人にとってはある意味楽園としてディストピア化した姿として秀逸。労働していると不健康になる=労働中に運動すればいい、というのは在宅ワーク中だと余計に味わい深い。その世界観で労働中毒となった語り手が完全に狂っており、10時間と定められている労働時間を法の網目を縫って、20時間している。当然、エスカレーションして24時間働き始め、それこそが素晴らしいという狂人で、物語は思ってもないところまでエスカレートする。オチが多分あれ集合無意識だと思うんだけど、そのオチはちょっとなあというところ以外は素晴らしかった。

花ざかりの方程式 大滝瓶太

個人的な趣味で言えば一番好き。円城塔っぽい方程式や少年と少女という要素ではあるのだけど、円城塔よりもなんていうか生々しいところや叙情的すぎるところがあって、結構雰囲気が違う。理解することで咲き誇る花が見える方程式、というネタに始まり、その考案者の人生、その理論と関係者にインスパイアされた言語学者の息子と娘の物語が絡まっていく。重要なテーマは、彼岸と此岸とその中間の死圏に代表される1と0とその間の世界。複数の架空理論や場面が出てくるが、一貫しているのはその間は定まっていないということ。言語学者のあったはずの恋と人生、そして生まれなかった子供達は、間の世界で生まれ、存在する。めちゃくちゃロマンチックな話。

また春が来る 草野原々

原々にしてはむしろ素直なメタフィクション作品。なんか妙な熱量というかのめり込み方みたいなのを感じるのが原々節と感じた。

おくみと足軽 三方行成

大名が文字通り巨大な機械である江戸時代を舞台とした軽快な物語。ライトすぎるきらいはあるが、可愛くて良かった。

Executing Init and Fini 樋口恭介

円城塔っぽい語り口で語られる宙での少年と少女の繰り返される出会い。プログラミングの言葉で、ジーン・ウルフ「デス博士その他の物語」を語り直したような物語。

クーリエ 劉慈欣

名前の入力がめんどくさいからコピペするとフォントサイズが…。話の雰囲気はいいし、小説はうまいが、まあ古い。大オチがこのバイオリン弾きは誰なのか、ということだが、かなり親切に書いてあるのでわかる人には最初のページでわかるようになっている。わかっちゃダメじゃない?

イシューからはじめよ

 

問題解決のためのフレームワークを提案する大ベストセラー。イシューとして問題の本質を切り出すこと、そのイシューにどう取り組んでいくのか、さらに掘り下げていくこと。言われてみると簡単ながら意外と難しい、この手順を具体例も交えながら紹介しています。

全てのビジネスマンが対象といってもいいような本ですが(それゆえ売れたとは思いますが)、特にスクラムのプロダクトオーナーをしている人が読むべき本として薦めたいです。プロダクトオーナーのミッションは、プロダクトをいかに成長させていくかです。そこで必要なのは、プロダクトの伸ばすべき領域を見極め、その実現のためにはどうすれば良いかを考え、さらにその方法やみるべき領域を順にドリルダウンさせていきます。この流れは、本書のイシューを作成し、サブイシューに砕いていく考え方と繋がります。プロダクトの成長という課題をイシューとして取り上げ、本書の考え方を適用していくことで、プロダクトオーナーとしての業務が進められるでしょう。

僕自身、先日までプロダクトオーナーをやっていましたが、それがプロダクトオーナーを担当する初めての機会でした。正直いって、あまりうまくやれたとは言い難いです。ここでいうイシューの見極めが甘く、方針変更をなんども余儀なくされました。イシューを見極めるために、周囲の人間にどんどん働きかけ、必要な事項を知ることも十分にはできていませんでした。終わってみるとなんであんな簡単なことができなかったのか、という感じですが、失敗しての知見ということでしょう。渦中にいる間は全くでした。その時にここでの考え方を知っていれば、いささかなりともマシにできていたのではないかと思います。スクラムガイドなどでプロダクトオーナーの価値や業務は記載されていますが、より具体的にPBIをどう作り、洗練させていくか、というのは難しい課題です。そこで本書は最適なガイドとなるのではなるでしょう。自分でもこの知見を踏まえて、次はうまくやりたいものだと思います。

 

 

天の声・枯草熱

 

長編「天の声」と「枯草熱」の二編がカップリングされ、一冊になった本。文学系の全集でたまにありますが、読み通すのがきついですね長編カップリング本。サンリオSF文庫から出版されており、現在では入手難な二冊の改訳合本です。表紙は『闇の国々』から。内容と関係あるかと思ってたんですけど、特にないですね。強いて言うなら「天の声」のイメージカットとして見れなくもないという感じ。

以下ではネタバレありありです。なしで語るのが難しいので。

天の声

ニュートリノの計測記録には宇宙からのメッセージが含まれている。山師が出しにしようとしていた情報から、本当にメッセージらしきものが浮かび上がり、2500人の科学者がネバダの砂漠に集められ、メッセージの解読に乗り出す。往時の出来事として、語り手の数学者ホガースによって、そのメッセージ解読への顛末と見つかった物事が語られる。

ここで面白いのは、メッセージが単なるメッセージではないところ。そのニュートリノ放射線は、パターンがメッセージになっているだけではなく、生命の発生を促進する効果があることも明らかになります。ファーストコンタクトものでも、珍しいパターン。それゆえにメッセージが単なるメッセージなのか、悩むことになります。メッセージを解読し、生成できた物質と物理現象により、絶滅兵器の存在が示唆される後半が個人的にはハイライト。冷戦時期に書かれたためか、レム自身、興味のあったテーマなのか、ホロコーストから辛々生き延びた教授のエピソードとともに印象的です。

結局のところ、人類はメッセージの大部分を解き明かすことはできないのですが、そこでのメッセージ解読の不可能性についての議論や、最後に提示される自然現象として回収しうる可能性の提示などは、まさにレムといった趣。語り手の最終的な結論として、異質な知性の存在を諦めない点はある意味オプティミスティックでちょっと面白い。ファーストコンタクト三部作と共通したテーマを扱っているが、科学者たちの結論の提示が中心なため、『ソラリス』のような膨らみには少しかける。十分に議論が刺激的で面白いので、これを最高傑作とあげる人がいるの自体は納得できる。個人的には『ソラリス』の方が上。でも、レムの中でも上位の傑作。ただし、中盤まで周辺的な状況が述べられ、かなり退屈。大衆をバリバリに見下している描写とかは面白いですが、それにしても。

枯草熱

今の言葉で言うと「花粉症」。なんとも情けないタイトル。最初の翻訳当時には「花粉症」だと通じないからこのタイトルになったと解説にある。そんな時代を返してほしい…。そろそろ目が痒くなる時期だ…。

元宇宙飛行士の男が、ナポリ-ローマ-パリと移動していく。誰かに追われているかのようで、偏執狂的な警戒をしているが、一体何が起きているのか。わからないまま50pほど読むとパリで犯罪調査に協力している情報博士の元に赴く。そして、男は博士にナポリを起点として発生した奇妙な事件たちを紹介していく。

『捜査』にも通じるナンセンスミステリ。結論がつかないし、わりとかったるい『捜査』に比べると一応の結末と中盤のおもしろ死に様祭りがあるこちらの方が面白いか。ハゲ薬が絡むナンセンスなオチも愉快。

沼野先生は解説で今こそ読むレムとぶち上げてますが、そこまでとは言わんでも、レムの良作として今でも読まれて良い作品集。

着飾った捕食家たち

Amazonにないので書影なしです。マジか。

サンリオSF文庫から刊行されていたフランスSF。ディストピアSFの連作短編です。フランス共産党支持者だったらしい著者らしく、ブルジョアに対する皮肉も作品に現れてはいますが、そうした主張よりもイメージの過剰さのほうが印象に残ります。ディストピアものではあるものの、社会風刺というよりは、近未来から遠未来までをイマジネーション豊かに綴った作品として捉えるほうが面白いように思います。

連作で各短編ともに雰囲気や状況もかなり異なるので、一編ずつあらすじと感想を。

その日もまた、八六、五一一人が悪性アノミーの餌食となった

なんだこれ感ありますが、これが短編のタイトルです。他もこんな感じです。

おそらくはエネルギー危機により、社会が荒廃状態に陥ったパリが舞台。大学の講師が視点人物で、その社会の惨状と当人とその恋人であった女性との悲劇を描いていく短編。舞台と状況から「第六ポンプ」がちょっと想起されますが、こちらは本当にそういった崩壊した状況をニヒリスティックに描いているだけ、という点でかなり違っています。そうした崩壊状況に当たって、人類の選んだ自死傾向が、大学講師の講義という体裁で話中に挟み込まれ、そこが話の眼目に見えますが、そう面白くはないです。

そして、円かなる一家団欒の夕餉に……

前の短編で起きたような社会崩壊の世界で、巨大食料品会社の会長家族は、大量の缶詰を貯蔵することで、その世界でもブルジョワとしての立場を得ています。老いて死を目前とした会長の元に、子供達が呼び寄せられるものの、ほとんどのものは貧しくなっていた子供達が集まったことで惨劇が起こる、という筋書き。この子供達(といっても全員成年しており、自分の子供やグルーピーとともにやってくる)が、それぞれに会長の家にやってくるまでが描かれるところから、物語は幕を開けます。その惨憺たる有様が荒廃した世界の様子を伝え、後の惨劇を引き立てます。そこまで目立った要素はないですが、会長家族が、部下たちに労いの贅沢品としてドッグフードを与えるといった皮肉が、印象的に映ります。

そう、二人の名はクロックバトラーとラカルスト……

ここで時代はいくらか未来に移ります。この時代の人類は、地下都市に無性の人類もどきを作り上げ、文化を守らせようとしています。その地下都市に、人類の生き残りである野蛮人二人が現れ、地下都市は崩壊する、というのがこの短編のあらすじ。無性の人類もどきの視点で主に話が進み、その禁欲的な習俗と現生人類の蛮行が本作の華。最後に文字通り喰らい尽くされる彼らの姿が哀れを誘います。

鼠どもが太陽を見たいと思ったのは、そのときだった……

おそらくは人類が統治している地下都市が今度の舞台。ここは絵に描いたような高層化された未来都市の監視が行き届いたディストピアであり、ほとんどの人類は奇形のおぞましい姿となっている。視点人物はこの社会の反逆者であり、素性を隠して、目的地へと向かおうとしているが……という筋。この人物を通して、この社会の典型的ディストピアぶり、1984的なものから漏れるところとしては、人類の醜さと大半の人間が会話もままならないレベルで愚かになっていることが象徴的に描かれている点。最終的に集められた人々は奇形ではなく、かつ全て元犯罪者で、その暴力性こそが人類繁栄の鍵であるとして、地下都市を出ることを告げられます。

ああしかし、やはり緑だった、他者の谷は……

一人の男が森に迷い込みます。そこでは人々が残忍に他者を殺害する場面を見せられます。しかし、森の中にある村へとたどり着くと、殺されたはずの人々が存在していて…、というなかなか魅力的な導入から話が始まります。察しがいい人ならわかるように、クローンが人々の暴力性の発露として提供されている、というオチ。ここでも人間の暴力性に対しての著者のこだわりが垣間見えます。

そして、ブルジョワたちが工場に行ったとき……

本作の集中ベスト。おそらく前の短編からさらに時間がすぎた未来。世界は数少ないブルジョワたちが、コンピュータ、マクロラブの管理のもと、プロレタリアたちを労働者としてこき使いながら、華美な生活を謳歌しています。音楽家でビセックス(両性具有)の視点人物が、ブルジョワたちの集まりを巡っていく、という構成。ドラッグを摂取しながら、廃墟となった工場を物珍しさの元に放浪するところから始まり、自身の子供をクローンとして10人育て、クリーチャー相手に闘技場を行わせ、生き残ったもののみを本当の子供とする、といったエピソードが次々に出てくるため、一番印象的で面白い短編です。科学的には現代よりはるかに洗練され、それがグロテスクなイメージとして結実しており、今読んでも十分面白いです。

そして、ついに、着飾った捕食者たちの時代がやってきた……

この時代の人類はおそらくさらに未来。胎児のような肉体で水に浮かびながら、機械の端末でどこにでも、宇宙にさえも向かうことができる世界。ただ、その世界でも肉体で生きることを決めたものが、着飾った捕食者と呼ぶ化け物で宇宙を封じ、胎児のような萎えた身体を持つ視点人物を蹂躙することで、物語は結末を迎えます。

全作品を通して一貫しているのは、人間の暴力性であり、暴力性が優れたものこそがその世界を制するという物語になっています。ややキッチュではあるし、古びている面もありますが、今読んでも印象的な場面も多いので、なんかの機会に復刊されてもいい作品かなあと思いました。

メダリオン

 

メダリオン (東欧の想像力)

メダリオン (東欧の想像力)

 

ホロコーストに、直接間接に関連した人々の証言を元にした短編集。人々の証言とそれを語る様子を、誇張しすぎないように慎重に描く著者の筆致は、かえってその言葉のリアリティを強め、起きた出来事のあまりのおぞましさを伝えてくる。小説部分だけなら100Pを切るのだが、これ以上あってもつらくて読めなかったと思う。それほどにきつい。

執筆されたのは、1945年。戦争の終結とともに、ナチス犯罪調査委員会に属していた著者が、いち早く人々へと届けようとした。もっと感情的になってもおかしくない立場と時期に、これほど冷静に書かれていることに驚かされる。

本書で特に印象的だったのは、ワルシャワ蜂起を扱った「墓場の女」。蜂起が起きたゲットーの壁の向こう側にいた人間が間接的に見てしまった光景。人々が苦しみから逃れるため身投げを企て、悲鳴が次々に聞こえてくる。戦火の直接の被害者でなくとも、苦しみは訪れる。こうした戦争の苦しみをホロコーストとは別の角度でも受け続けた土地として、ポーランドではいくつもの小説がこれ以後にも書かれる。スタニスワフ・レム「主の変容病院」(1955, 執筆は1948) は、戦時中の精神病院でのじわじわと侵略が広がっていく様が描かれるし(この長編が収録された『主の変容病院・挑発』には、「ジェノサイド」という架空の書籍の書評という形で、ホロコーストについて触れる作品も収録されている)、オルガ・トカルチュク『プラヴィエクとそのほかの時代』(1996) では、架空の土地プラヴィエクの一世紀ほどの歴史が描かれる中で、ドイツの侵攻により土地には線が引かれ、その区別が重要な意味を果たすことになる。

1945年という戦争がまさに終わった年の時点で、あのジェノサイドが邪悪な人の意思で行われたものであることを認めた上で、それをなさせるに至ったシステムの存在を示唆していることは驚嘆に値する。

人間がこうしたことをできたことに疑いはないが、やらねばならなかったわけではない。しかし、その力を彼らから引き出し、作動させるためのすべてがあらかじめなされていた。その力は人間の意識下でまどろみ、起こされることも表に出ることもなくいれたはずなのに。

p.97 「アウシュヴィッツの大人たちと子供たち」

 本書は八編の短編が収められているが、うち七編は独立した短編として読める。短編集の最後に配置された「アウシュヴィッツの大人たちと子供たち」のみが全体を総括するような内容になっており、先のような記述が現れることになる。この中で、エピグラフに掲げられた文章も登場するが、本書を通読したあとで見るその文章はあまりに重く感じられるだろう。

人間が人間にこの運命を用意した

p.3

 

ポップ1280

 

ポップ1280(新装版) (海外文庫)

ポップ1280(新装版) (海外文庫)

 

帯に「究極のノワール、復刊!」とあるように、ノワールの大傑作だ。ノワールを何と定義するかによるが、人間存在の悪にフォーカスした犯罪小説だと考えるなら、間違いなく本作は傑作だ。

人口1280の小さな郡の保安官、ニックが自己保身のために周囲を破滅に誘っていき、そしてその結果は自分へと向かう、というのが大雑把なあらすじだろう。だが、そんなあらすじのことは考えなくていい。ニックの生み出す黒い笑いに飲み込まれ、夢中になるうちにどうせすぐに読み終わるのだから。

薄暗い話のように見えるが、めちゃくちゃ笑える。政治風刺も気が利いていて、例えば保安官選挙のためにニックがしていることとして、こんな語りがある。

今まではずっと、闘鶏だとかギャンブルだとかウィスキーだとか、そういうものにはおれは反対だという噂をばらまく作戦をとってきた。すると競争相手は、自分もそういうものには反対だと言ったほうがいいだろうと考える。ただ、そいつはおれの倍も強硬に反対するのだ。おれは黙ってやらせておく。誰だっておれより演説が上手だから、何かに反対するにしても賛成するにしても、おれよりずっと強い態度を示すことになる。おれはといえば、何ごとにつけても、信念なんてものはない。そんなものとは、ずっと無縁でやってきたのだ。

p.88

現代においても何かが変わったとは思えない描写だ。

彼の自己保身の薄っぺらな嘘の連発も、そんなものに翻弄される愚かな人々の有様も極めて愉快だ。風刺っぷりときたら、現代で読んでも古びていない。

人間は、大きな問題に簡単な答えをみつけたがるものだ。自分たちに起こる、よくないことを、全部ユダヤ人や黒人のせいにしようとする連中がいる。こんなに広い世界では、うまくいかないことが山ほどあってもなんの不思議もないということが、わからない連中がいるのだ。

p.57

第一次大戦末期あたりを舞台にしているようだが、その時代の黒人差別の苛烈さも背景に織り込まれている。レイシストの白人保安官が、黒人を人口に含めないといけないことを指して、「北部の野郎どもが作った法律のせい」と吐き捨てるシーンなど実に見事だ。

ニックは自己保身のために、態度を飄々と変え続ける。まるで自分を持たないかのようだ。そんな男が、人々を扇動し、破滅をもたらしていく様は、ハメット『血の収穫』のようでもあるが、名無しのオプと違ってニックは徹頭徹尾自分勝手な人間だ。その上、この男には終わりがない。自分の叶える理想がない。だから、最後には当然破滅する。破滅を回避する道もあったはずだが、彼には自分がないので、誰とも対決しないし、柔弱に物事を運ぶ。それはフリでもあるが、実態でもあるのだろう。破滅に至るまでに悟りにも至るが、彼がどのくらい真面目に考えているのかもわからない。その薄っぺらさ! 人間の形をした虚無のような男、ニック・コーリー。相手に合わせおべっかを使い、自分の良いように扇動し、その実、自分の中には何もない。やりたいことも、なりたいものも、ただ自己愛のようなもので自分を守るだけ。トンプスンの描きぶりは徹底している。そして、これはこういった特殊ないやらしい人間を描いたものではない。全ての人間が持つ自己愛を盾にした卑劣な自己弁護、無責任さを暴き立てる。本作を読んでいて笑えるのは、自分のことだからだ。ここに描かれているのは全ての人間なのだ。

目なんか見えないほうがましなんだ、アンクル・ジョン。便所だと言って窓のところに連れてこられて、目が見えないからそれを信じて、そこからしょんべんしてしまうやつのほうが、そういう悪ふざけをする側のやつでいるより、ましなんだよ。そういう悪ふざけをするやつって、誰だか知ってるか、アンクル・ジョン? 誰もかれもがそうなんだよ。

p.184

 

 

2010年代海外SF傑作選

 

「多様化しつづける世界を映し出した」と帯にあるように、2000年代よりも作風が幅広く感じられる2010年代。日本にも単著の邦訳がある中国作家二人が掲載されていることで、中国SFの躍進も感じられます。ネットは80, 90年代のオカルト、00年代の希望に満ちたフロンティアを経て、すっかりただの背景に引っ込みました。テクノロジーは現実を地道に変えるものとして描写されるようになりました。どこか地に足のついた作品が多いのが、この時代の特徴なのかもしれません。この時期に活躍していた作家は網羅されている感じがしますが、強いていうならバチガルピが漏れてるのが少し寂しいですね。尺とか色々あるのだとは思いますが。

火炎病

初訳。ARやVRの隆盛も2010年代の特徴ですが、ARを取り扱ったのが本作。炎が視界を埋め尽くしてしまう病気をARで再現しようとするが、というところから始まって、非常にSFらしいSFとしての展開を示します。地に足のついたところからの飛躍ぶりが、ザ・SFという感じでこういった作風が好きなので、ピーター・トライアスの書き振りが好ましく感じました。『ユナイテッド・ステイツ・ジャパン』しか読んでなかったんですが、他も読んでみて良いかも。

乾坤と亜力

初訳。郝景芳は単著も複数翻訳され、劉慈欣以上に現代中国SFを代表する作家となっている感がありますね。本作は、超越存在と無垢な存在の交流が何かを決定的に変える話。SFでこのタイプの話だと、超越存在はかつてロボットでありコンピュータでしたが、現代で描くとIoT機器と結びついたAIになるわけですね。三歳の子供の描写が絶妙で、二歳児を持つ身だとしみじみします。先回りしてほしいんじゃなくて、その過程をやりたいんだよね。結末も無垢な存在が欲得のないものを選択する、という流れなわけですが、そこも子持ちの身だと泣けるオチになっていて素直にしみじみとしました。

ロボットとカラスがイースセントルイスを救った話

初訳。『タイムラインの殺人者』が翻訳されたばかりのニューイッツの短編。ドローンロボットのキュートな活躍を描く。背景には切り捨てられた人々や政府システムの混乱がおかれながら、ポジティブな物語になっているところがむしろ現代的でしょうか。ロボットがカラスや人間たちと交流を育んでいく流れが、可愛く、面白いです。

内臓感覚

初訳。この10年で日本でも十分紹介され、活躍したと言える作家の一人としてワッツはあげられるでしょう。悲観的で辛辣で徹底した書き振りが、熱心なファンを産み、今年は複数の同人翻訳があげられるほどでした。本作はありがたいことにそれらとバッティングしない作品の紹介でした。ワッツの底意地の悪さがよく出た短編で、Googleを徹底して悪者にしているところも愉快です。「Don't be evil.」を外したことも当然いじられますね。二転三転するプロットで浮かび上がるのは、SF的アイデアよりも作中のGoogleがかなり深い意味で邪悪なことというのが、まあ性格悪いです。個人的には本短編集のベスト。

プログラム可能物質の時代における飢餓の未来

初訳。3Dプリンタ的なもののハックにより、怪獣が生成され、世界にカタストロフが。という背景を置いて、ゲイの男がパートナーと間男との関係に置かれた自らのままならない精神に苦悩する。ジャンルSFでは通常なら、視点人物の物語が何かしらカタストロフに関係がある、またはそのカタストロフと関連する物語を繰り広げますが、本作ではカタストロフは全て背景。比喩的な意味で、彼の破壊衝動とリンクされたものとして描かれます。文学におけるメタファーとして徹底して扱われています。SF要素のある文学としては珍しくない書き方ですが、ジャンルSFとして評されるところから出てきた作品としてはちょっと珍しいので面食らいました。世界は複数の怪獣に破壊されたようですが、当然ゴジラも大活躍したようです。

OPEN

S-Fマガジン2016年10月号「ケリー・リンク以降」特集初出。この号は未読なので、特集については不明。リンク以降は気になるテーマなので、見落としてましたね。『SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと』のチャールズ・ユウ。長編同様に円城塔の翻訳です。メタフィクショナルな雰囲気で、小さな関係性の物語をするという点で長編と近い雰囲気の短編。自分らしくない自分と自分のどちらを選択するのか、という誰の身にも感じられるテーマが、飄々と描かれていてなかなか良いです。

良い狩りを

S-Fマガジン2015年4月号初出、その後『紙の動物園』収録、文庫で『もののあはれ』収録。10年代のSFのキーマン、ケン・リュウ。本人の短編の評価の高さはもちろんですが、『三体』をはじめとする中国SFを海外へと紹介する点で大きな役割を果たしました。個人的にはリュウの短編は、よくできているのですが、はみ出たところをあまり感じないので、そこまで好みではないのですが、本作がよくできていることは疑いないところです。

伝統的かつスピリチュアルなものが、現代文明に駆逐されていく、という典型的な背景とスチームパンクをうまく重ねて、古い社会に根を持つ二人が新しい社会へと飛躍していくというプロットを美しく見せています。

果てしない別れ

『中国SF作品集』に初訳。今回は新訳だそうです。遺伝的に若年性アルツハイマーを発生する可能性の高い夫婦の夫が脳梗塞に倒れ、植物状態手前の身で出来ることとして、知性を持つとされるゴカイのような生物と精神同期を取ろうとするが、と文字にしてるとなんだそれは感のある作品。実際、読んでみるとなんとなくいい感じの雰囲気なんですが、ゴカイのような生物に知性があるらしいというところから始まるものの描写的にはっきり知性があると感じられるところもないし、その生物と精神を同期した結果得られる宗教的合一体験が、結末に繋がっているかというと繋がっていないので、なんかよくわからん作品。今回の収録作の中で一番の怪作。

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初訳。00年代後半から10年代前半にかけて、印象的な作品を残したミエヴィルの短めの作品。架空の生物についての解説だが、どこか不気味さ(ウィアード)があるのがミエヴィルらしさか。「基礎」や「鏡」なんかに感じられる熱さが好みなので、その点は少し残念。

ジャガンナートーー世界の主

S-Fマガジン2013年11月号「海外SF短編セレクション」特集号初出。この号は、広告によって美しく取り繕われた管理社会の少年少女を描くヴァレンテ「ホワイトフェード」、真空中でも活動できる能力に目覚めた少年の活躍とその能力の秘密を描くバクスター「真空キッド」など良作が掲載されているので、本作が再録されてもチェックする価値のある号。

異星の生物の特殊な生態とジュヴナイル的な魅力が一緒になった一作。現代舞台の作品が中心となっている中で、ちょっと幅が出る収録作。

ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル

S-Fマガジン2011年1月号初出。その後テッド・チャン第二短編集『息吹』収録。個人的にはこれ以後のテッド・チャンの作品は、社会の視点が強すぎて、そこまで好きになれないです。現実に技術が挿入されたことで生まれる状況を、やや露悪的なくらいに描いている書き方は、すごいのですが、好みから外れます。本作もそうなので再読なしで。